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2010/12/06 9:57 am

                                         白鳥 健次

今や人々の生活に欠かせないものとなったインターネットであるが、その日本での歴史はまだ四半世紀あまりである。1969年のARPANETと呼ばれるアメリカ国防総省の軍事目的のネットワークを原型としたインターネットの歴史や、1984年の東京大学、東京工業大学、慶応義塾大学を結ぶJUNET(現在のJPNICの前身)を起源とする日本のインターネットの広がりについては、多くの書物等に記載されているので、そちらを一読して欲しいが、現在の携帯メールのように特にITの知識が無くても使っているインターネットの環境を、宮城県の一般住民が家庭で利用出来るようになるまでには、それから長い時間が必要になる。

1988年にインターネットに関する産学共同の研究プロジェクト、WIDEプロジェクトが発足し、JUNETを利用して研究者がIP接続でのインターネットへの参加が可能となった。同時期に光ケーブルが地方都市まで延び始め、アメリカの学術ネットワークに接続されたこともあり、これに多くの大学や企業の研究機関が参加した。しかし、日本のコンピューターメーカーがDOSベースの独自OSを搭載した高価なPCを販売していた時代であり、宮城県の一般住民が家庭でインターネットを利用出来るようになるまでには、まだ時間が必要だった。

 1991年、WIDEプロジェクトは仙台にNOCを開設した。これにより東北大学を中心とした研究者達は始めてインターネットに触れることが可能になった。地元企業の研究者も申請が承認されれば接続可能であることから、以後、多くの民間人も利用したようである。当時から地元企業に勤務していた筆者も、社内の研究部門に設置されたUNIX機で初めてインターネットというものに触れることになるが、当時はメールやニュースグループが主流であり、対応ソフトウエアも英語版が殆どだった。テキストやバイナリーコードばかりのコンテンツに筆者はさほど興味を惹かれなかった。現在のインターネット閲覧の主流であるブラウザによる画像やテキストの閲覧は、1993年のNCSA Mosaicの誕生を待つことになる。当時のインターネットには宮城県の一般住民が興味を持つコンテンツは未だ整っていなかった。

 1990年代前半には首都圏を中心に、多くのパソコン通信業者や電機メーカーが、商用プロバイダーとして接続サービスを開始した。これにより一般住民が始めて家庭でインターネットを利用出来る環境が整ったことになる。PCも日本IBMが開発したDOS/Vと呼ばれる文字セットをソフトウエアで扱うことを可能としたOSが販売され、安価な海外のPCでも日本語が利用可能となり、急激な低価格化が進み購入し易くなった。但し、家庭からプロバイダーへの接続が、当時はダイヤルアップ接続方式と呼ばれる一般電話からアクセスポイントの電話番号先にモデム経由でダイヤルして接続する方式が主流で、距離/接続時間に応じた電話料金が必要だった。又、PCもマイクロソフト社がWindows95を発売する前のWindows3.1の時代であり、OSにTCP/IPプロトコルが搭載されていないので自分で追加インストールしなければならなかった。Netscape Navigator等のブラウザも未だ有料であり、インターネットは一般にはまだ敷居が高かった。しかし、次第に企業や一般のホームページが数多く立ち上がり、海外を含め画像コンテンツ等も充実し始めたこともあり、電話料金と面倒な設定作業をクリアすれば、誰でも家庭でインターネットを楽しむ時代が始まった。だが、宮城県の一般住民は商用プロバイダーのアクセスポイントが出来るまで、指を咥えて待っているしか無かった。

 1995年、Windows95が発売される直前に、仙台にも最初の商用プロバイダーのアクセスポイントが開設された。最初は大手プロバイダーでは無く、新興の企業だったと記憶している。その企業は現在仙台からは撤退しているが、大手プロバイダーが仙台に開設する迄の一年余り、単独で仙台地区にインターネット接続環境を提供したことは評価したい。筆者も早速申し込んで、家のWindows3.1のパソコンから有料ブラウザNetscape Navigator2.0でネットサーフィンを楽しむようになった。筆者は宮城県北在住である為、仙台迄の距離と接続時間に応じた市外電話料金が発生する。接続時間を気にしながらであったが、日本や海外の様々なサイトを見たり、BBSへ書き込んだりしてパソコン通信とは違う楽しみを味わうことが出来た。その後Windows95が発売され、NTTがテレホーダイと呼ばれる深夜限定の接続定額料金制度を開始する等、低価格化と利便性が高まることで、インターネットは爆発的に広がった。仙台地区でも大手プロバイダーが次々とアクセスポイントを開設し、やっと宮城県の一般住民も家庭からインターネットを楽しむ環境を手に入れることになる。深夜にモデム接続の「ピー、ゴロゴロ」という音を出し、ニヤニヤしながらPCのキーボードをカタカタ打つ姿は、本当の意味での一般住民かどうかは微妙だが。

 1999年、NTT docomoが携帯電話を使用するiモードと呼ばれる電子メールや、ウェブサイトの閲覧が可能なサービスを開始した。これはiモード網と呼ばれる独自ネットワーク以外に、通常のインターネット網にも接続されている。当時は携帯電話が広く行き渡り始めた時期であり、当時の人気アイドル広末涼子をCMのイメージキャラクターに使用した宣伝効果もあって、iモードは爆発的な人気を得ることになる。他の携帯電話会社も直ぐに同様のサービスで追従し、携帯電話を使用した電子メールでのコミュニケーションは、人々に無くてはならないものになる。宮城県の一般住民だけで無く、日本中の人々が意識せずにインターネット環境を利用する時代がやっと訪れた。

 それから10年余りが経過し、インターネットは技術的にも利便性でも様々な進化を遂げ、利用範囲/利用者が飛躍的に広がったことは皆さん御存知のことだと思う。それに伴いハイテク犯罪のような様々な問題が起きているのも事実である。インターネット黎明期には電子メールの説明を行う時に、バケツリレーと同じ仕組みであることを話したことを忘れてはいけない。元々は隣にバケツを渡したら、後は知らないということが基本の技術なのである。利用者も利便性だけに捉われず、危険性や脆弱性があるということを理解した上で利用することが、今後長くインターネットと付き合い続けるコツである。

尚、当文章は年代等はWikipedia等で調べ引用しているが、他のことは筆者の記憶だけで書いているので事実と異なることがあるかもしれないが、その点は御容赦願いたい。

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