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2013/12/07 10:03 pm

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2013/08/06 4:11 pm

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2013/05/31 3:34 pm

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2013/03/31 11:00 pm

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2013/02/27 2:48 am

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2013/02/03 4:06 pm

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2011/10/25 9:30 pm

「ITCみやぎ」のコラムに、寄稿されている方の多くが宮城・仙台出身の方が大半であるかと思います。私は東京からの転勤者であり、又出身は関西です。
現在、仙台在住3年目となりましたが、2年が過ぎようとしている時に、3.11を迎えたわけです。その後の半年間お客様対応に追われてきましたが、ようやく色んなことを整理し始めてきました。阪神大震災で私自身は被災していませんが、家族が被災しており、その対比を含めて、今回のコラムを書くにあたって、現時点での雑感を記載したいと思います。

《東日本大震災の特徴》

未曾有の災害であったことは、間違いないことであり、又阪神大震災と比べて多くの特徴的な事もありました。
■東日本大震災は阪神とは大きく違い、「広い被災地」「津波」「原発問題」という直説的な相違点だけではなく、第一次産業を中心とする「生産地」であったことが、「消費地」であった阪神大震災とは違い、当然復興に時間を要していると思います。その土地を基本とした生活をしている場合と、阪神のように仮設住宅から出勤可能な方がいらっしゃると言うのは、やはり大きく影響していると思います。
■被災地が「生産地」であることは、「原発問題」にも大きく影響を受けているポイントです。福島では、その土地で生産していらっしゃる方が、何時その地に戻れるかが誰も言明できない現状では、次の手を打つことさえも出来ないのが本当のところです。

《復興とIT》  

■この半年間、直接のお客様の復旧作業から始まりました。基幹系の立ち上げは比較的迅速に進めることが出来ましたが、金融機関・流通業等のお客様では沿岸部を中心に、店舗・支店が津波の被害で甚大な影響を受けており、IT修復に至っていない状況が長く続いておりました。
■その後、県庁・自治体・大学・医療機関等とも会話を始めている中で、復興に向けた動きが徐々にではありますが、活発化してきております。
当初4月・5月は、各県庁にお伺いしても、情報システム部所はその本来の機能を果たしておらず、象徴的な話としては、「3月10日の状況に如何に戻すかと言うのが、大目標です」との言葉を聞いておりました。
 又、大学のIT関連の先生とお話していても、「IT関連の話に進展するには今しばらく時間を要するのでは」との話もありました。
■その様な状況も夏過ぎになり、幾つかの復興案件の話が進展することにより、IT面での協力が出来るような話が具体的になってきたことも出始めております。 
 例えば、私にも以下のような話が宮城県のみならず、岩手・福島を含めて聞こえ始めております。
 *被災地における「被災者・高齢者の見守りサービス」の提供
 *震災前から話題にはなっていた「広域医療連携」の早期構築
 *2年前から話題になり始めた「自治体システムのクラウド化対応」の必要性が震災を引き金に更に加速化
 *大規模な「ガレキ処理作業」におけるIT面での支援システム
 *長期対応にはなりますが、「スマートシテイ」計画において欠かせないIT面での対応  etc
 ほんの一例ではありますが、このような場面で私たちIT技術に関連している仲間が個人でも・企業としてでも協力することにより、「元気な東北の復活」を実現する事が可能だと思います。
 文字で書くほど、全く簡単な事ではありませんが、そのベクトルを同じ方向に向けて活動することが、今一番大事なことだと思います。
 冒頭に書きましたように雑感になってしまいました。今後長い道のりになると思いますが、1日でも早い復興の日が来ることを心から祈っております。

                         アキ

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2011/05/19 11:55 am

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2011/03/29 11:43 am

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2010/12/06 9:57 am

                                         白鳥 健次

今や人々の生活に欠かせないものとなったインターネットであるが、その日本での歴史はまだ四半世紀あまりである。1969年のARPANETと呼ばれるアメリカ国防総省の軍事目的のネットワークを原型としたインターネットの歴史や、1984年の東京大学、東京工業大学、慶応義塾大学を結ぶJUNET(現在のJPNICの前身)を起源とする日本のインターネットの広がりについては、多くの書物等に記載されているので、そちらを一読して欲しいが、現在の携帯メールのように特にITの知識が無くても使っているインターネットの環境を、宮城県の一般住民が家庭で利用出来るようになるまでには、それから長い時間が必要になる。

1988年にインターネットに関する産学共同の研究プロジェクト、WIDEプロジェクトが発足し、JUNETを利用して研究者がIP接続でのインターネットへの参加が可能となった。同時期に光ケーブルが地方都市まで延び始め、アメリカの学術ネットワークに接続されたこともあり、これに多くの大学や企業の研究機関が参加した。しかし、日本のコンピューターメーカーがDOSベースの独自OSを搭載した高価なPCを販売していた時代であり、宮城県の一般住民が家庭でインターネットを利用出来るようになるまでには、まだ時間が必要だった。

 1991年、WIDEプロジェクトは仙台にNOCを開設した。これにより東北大学を中心とした研究者達は始めてインターネットに触れることが可能になった。地元企業の研究者も申請が承認されれば接続可能であることから、以後、多くの民間人も利用したようである。当時から地元企業に勤務していた筆者も、社内の研究部門に設置されたUNIX機で初めてインターネットというものに触れることになるが、当時はメールやニュースグループが主流であり、対応ソフトウエアも英語版が殆どだった。テキストやバイナリーコードばかりのコンテンツに筆者はさほど興味を惹かれなかった。現在のインターネット閲覧の主流であるブラウザによる画像やテキストの閲覧は、1993年のNCSA Mosaicの誕生を待つことになる。当時のインターネットには宮城県の一般住民が興味を持つコンテンツは未だ整っていなかった。

 1990年代前半には首都圏を中心に、多くのパソコン通信業者や電機メーカーが、商用プロバイダーとして接続サービスを開始した。これにより一般住民が始めて家庭でインターネットを利用出来る環境が整ったことになる。PCも日本IBMが開発したDOS/Vと呼ばれる文字セットをソフトウエアで扱うことを可能としたOSが販売され、安価な海外のPCでも日本語が利用可能となり、急激な低価格化が進み購入し易くなった。但し、家庭からプロバイダーへの接続が、当時はダイヤルアップ接続方式と呼ばれる一般電話からアクセスポイントの電話番号先にモデム経由でダイヤルして接続する方式が主流で、距離/接続時間に応じた電話料金が必要だった。又、PCもマイクロソフト社がWindows95を発売する前のWindows3.1の時代であり、OSにTCP/IPプロトコルが搭載されていないので自分で追加インストールしなければならなかった。Netscape Navigator等のブラウザも未だ有料であり、インターネットは一般にはまだ敷居が高かった。しかし、次第に企業や一般のホームページが数多く立ち上がり、海外を含め画像コンテンツ等も充実し始めたこともあり、電話料金と面倒な設定作業をクリアすれば、誰でも家庭でインターネットを楽しむ時代が始まった。だが、宮城県の一般住民は商用プロバイダーのアクセスポイントが出来るまで、指を咥えて待っているしか無かった。

 1995年、Windows95が発売される直前に、仙台にも最初の商用プロバイダーのアクセスポイントが開設された。最初は大手プロバイダーでは無く、新興の企業だったと記憶している。その企業は現在仙台からは撤退しているが、大手プロバイダーが仙台に開設する迄の一年余り、単独で仙台地区にインターネット接続環境を提供したことは評価したい。筆者も早速申し込んで、家のWindows3.1のパソコンから有料ブラウザNetscape Navigator2.0でネットサーフィンを楽しむようになった。筆者は宮城県北在住である為、仙台迄の距離と接続時間に応じた市外電話料金が発生する。接続時間を気にしながらであったが、日本や海外の様々なサイトを見たり、BBSへ書き込んだりしてパソコン通信とは違う楽しみを味わうことが出来た。その後Windows95が発売され、NTTがテレホーダイと呼ばれる深夜限定の接続定額料金制度を開始する等、低価格化と利便性が高まることで、インターネットは爆発的に広がった。仙台地区でも大手プロバイダーが次々とアクセスポイントを開設し、やっと宮城県の一般住民も家庭からインターネットを楽しむ環境を手に入れることになる。深夜にモデム接続の「ピー、ゴロゴロ」という音を出し、ニヤニヤしながらPCのキーボードをカタカタ打つ姿は、本当の意味での一般住民かどうかは微妙だが。

 1999年、NTT docomoが携帯電話を使用するiモードと呼ばれる電子メールや、ウェブサイトの閲覧が可能なサービスを開始した。これはiモード網と呼ばれる独自ネットワーク以外に、通常のインターネット網にも接続されている。当時は携帯電話が広く行き渡り始めた時期であり、当時の人気アイドル広末涼子をCMのイメージキャラクターに使用した宣伝効果もあって、iモードは爆発的な人気を得ることになる。他の携帯電話会社も直ぐに同様のサービスで追従し、携帯電話を使用した電子メールでのコミュニケーションは、人々に無くてはならないものになる。宮城県の一般住民だけで無く、日本中の人々が意識せずにインターネット環境を利用する時代がやっと訪れた。

 それから10年余りが経過し、インターネットは技術的にも利便性でも様々な進化を遂げ、利用範囲/利用者が飛躍的に広がったことは皆さん御存知のことだと思う。それに伴いハイテク犯罪のような様々な問題が起きているのも事実である。インターネット黎明期には電子メールの説明を行う時に、バケツリレーと同じ仕組みであることを話したことを忘れてはいけない。元々は隣にバケツを渡したら、後は知らないということが基本の技術なのである。利用者も利便性だけに捉われず、危険性や脆弱性があるということを理解した上で利用することが、今後長くインターネットと付き合い続けるコツである。

尚、当文章は年代等はWikipedia等で調べ引用しているが、他のことは筆者の記憶だけで書いているので事実と異なることがあるかもしれないが、その点は御容赦願いたい。

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